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2025新津福音キリスト教会チャペルコンサート

 2016年以来、二度目のお伺いです。

 新潟・新津の皆様に再び御目文字賜りますこと、心待ちにいたしております。

 

▷牧師が読み解くご当地ソング「砂山」

「砂山」作詞:北原白秋 作曲:中山晋平

  • 海は荒海、向うは佐渡よ、すずめ啼け啼け、もう日はくれた。みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ。

  • 暮れりや、砂山、汐鳴りばかり、すずめちりぢり、また風荒れる。みんなちりぢり、もう誰も見えぬ。

  • かへろかへろよ、茱萸(ぐみ)原わけて、すずめさよなら、さよなら、あした。海よさよなら、さよなら、あした。

 文字通り、荒れた海の向こうに佐渡島が見える情景が描かれています。日が暮れると砂山には波の音(汐鳴り)だけが響き、雀たちは散り散りになり、風が荒れる中で誰もいなくなる寂しさが表現されています。

 

 私には、この歌詞は日本版のOld Black Joe.に想えてならないのです。

 人生の黄昏時、お友達はみな、天の故郷へ帰って行きました。

 もうお外で遊んでいるのは僕だけです。

 懐かしい母の声が彼岸(向こう岸)から聞こえます

「ほら僕、もう晩餐の支度が整ったわよ。イエス様も着座なさったわよ。いつまでお外で遊んでいるの。

早くお家に帰っていらっしゃい!!」

 

 母や友らの呼ぶ声に、

「I'm coming, I'm coming~今、直ぐに帰るよ」と、Old Black Joeの如く、応えずにはいられなくなります。

 

 新潟の寄居浜に横たわる荒海は、さながらヨルダン川。ヨルダンの荒波の向こうに見える佐渡が島は、天の御国。

 人生の旅路の最期に、今生に悔いなしと森羅に別れを告げて、夜を知らない天つ御国の永遠の朝(あした)に出でたつ光景を観る想いがいたします。

 3番の歌詞は「雀さよなら、さよならあした」ではなく、「雀さよなら、さよならVあした」です。此のV・ブレスは、永遠の朝(あした)に出で行く復活の息吹です。

 

 自己解釈が過ぎるでしょうか?

 しかし、私たちがどのようなイメージで楽曲と楽曲の「ことのは」に臨もうとも、楽曲の方が遥かに寛容で優しいので、楽曲の方から私たちのイメージに寄り添ってくれるのではないかと想います。(所感)

~2025年9月8日~

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「手のひらを太陽に」を詠う

作詞:やなせたかし 作曲:いずみたく

ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ

ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)

ミミズだって オケラだって アメンボだって みんな みんな生きているんだ   友だちなんだ (2,3番は省略)

 

 次回の流山音楽アカデミー「合唱の集い」で、「手のひらを太陽に」をお歌いになりたいとのリクエストが寄せられました。

 私も幼少期より、「手のひらを太陽に」を何気に歌っていましたが、改めてこの歌詞を“静想”し、予習してみようと思います。

 

上記歌詞

「手のひらを太陽に透かしてみれば、真赤に流れる僕の血潮。」

ただ単に血が血管を流通しているのではありません。脈打ち流れています。即ち、脈動しているのです。更に云えば・・心ときめきつつ血が流れています。

 

 人には、日々のときめきは必要不可欠です。ときめきがなければ、人生は色褪せた、色のない世界となってしまいましょう。

 ときめきは、刺激的、活動的イメージですが・・いや、むしろ「ときめき」と静けさは最も近しい親友同志ではないでしょうか。

 家族・妻と食卓を囲みながら、語りあう静けさ。

 釣りに興じ、大自然と関わり、森羅と対話する静けさ。

 一人、みことばと対話をする静想。

 

 これら静けさには、一つとして同じ静けさはありません。

 昨日と違う静けさから、他者に語り、伝えずにはいられないエピソードが沢山、産出されます。他者に伝えずにはいられない「ときめき」を禁じえなくなります。

 語り伝え、“詠う”ことで、感動(喜怒哀楽)を追創造し、他者との関わりの美しさとすることができます。

 静けさは、自分を最も活動的な、真に雄弁な自己にする秘めたる力があるように想います。

 

 新規なもの、刺激的なものを求め東奔西走するよりも、日常の素朴な出来事や自然や静けさのなかにこそ、今、ここに生きている、いや自他共に生かされている“ときめき”を感じ味わうことができるのではないでしょうか。

 まさに、「静中に動あり」です。(所感)

​~2025年9月8日~

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